Reading №4_5

Chebakova Irina

蜘蛛の糸

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蜘蛛の糸

   

ある日の事でございます。お釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のように真っ白で、その真ん中にある金色の蕊からは、なんとも言えない好い匂いが、絶間なくあたりへあふれております。極楽はちょうど朝なのでございましょう。

やがてお釈迦様はその池のふちnいお佇みになって、水の面を蔽っている蓮の葉の間から、ふと下の容子を御覧になりました。この極楽の蓮池の下は、ちょうど地獄の底に当っておりますから、水晶のような水を透き徹して、三途の河や針の山の景色が、ちょうど覗きめがねを見るように、はっきりと見えるのでございます。

するとその地獄の底に、かんだたという男が一人、ほかの罪人といっしょに蠢いている姿がお眼に止まりました。このかんだたという男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い森の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這って行くのが見えました。そこでかんだたはさっそく足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗にとるという事は、いくらなんでも可哀そうだ」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。

お釈迦様は地獄の容子を御覧になりながら、このかんだたには蜘蛛を助けた事があるのをお思い出したなりました。そうしてそれだけの善い事をした報いには、できるなら、この男を地獄から求い出してやろうとお考えになりました。幸、そばを見ますと、翡翠のような¥色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛がいち匹、美しい銀色の糸をかけております。お釈迦様は蜘蛛の糸をそっとお手にお取りになって、玉にような市白蓮の間から、はるか下にある地獄の底へ、まっすぐにそれをお下ろしなさいました。

      二

こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人といっしょに、浮いたり沈んだりしていたかんだたでございます。なにしろどちらを見ても、真っ暗で、たまにそのくら暗からばんやり浮き上がっているものがあると思いますと、それは恐ろしい針の山が光るのでございますから、その心細さといったらございません。その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞えるものといっては、ただ罪人がつく微かな嘆息ばかりでございます。これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまな地獄の責苦に疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが大泥坊のかんだたも、やはり血に咽びながら、まるで死にかかった蛙のように、ただもがいてばかりおりました。

ところがある時の事でございます。何気なくかんだたが頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ乗れて参るのではございませんか。かんだたはこれをみると、思わず手を拍って喜びました。この糸に縋りついて、どこまでものぼって行けば、きっと地獄からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、極楽へはいる事さえもできましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられる事もなくなれば、血の池に沈められる事もあるはずはございません。

こう思いましたからかんだたは、さっそくその蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。もとより大泥坊の事でございますから、こういう事には昔から、慣れ切手いるのでございます。

しかし地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、いくら焦ってみたところで、容易に上へは出られません。ややしばらくのぼる中に、とうとうかんだたもくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の中余りにぶらさがりながら、遥かに目の下を見下しました。

すると、一生懸命にのぼった甲斐があって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう暗の底のいつの間にかかくれております。それからあのぼんやり光っている恐ろしい針の山も、足の下になってしまいました。この分でのぼっって行けば、地獄からぬけ出すのも、存外わけがないかもしれません。かんだたは両手を蜘蛛の糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出したことのない声で、「しめた。しめた」と笑いました。ところがふとと気つきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限りもない罪人たちが、自分のぼったあとをつけて、まるで蟻の行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。かんだたはこれを見ると、驚いたのと恐ろしいのとで、しばらくはただ、莫迦のように大きな口を開いたまま、眼ばかり動かしておりました。自分一人でさえ断れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに堪える事ができましょう。もし万一途中で断れたと致しましたら、せっかくここへまでのぼって来たこの肝腎な自分までも、もとの地獄へ逆落しに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。が、そういう中にも、罪人たちは何百となく何千となく、真っ暗な血の池の底から、うようよと這い上がって、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、糸は真ん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。

そこでかんだたは大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちはいったい誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚きました。

その途端でございます。今までなんともなかった蜘蛛の糸が、急にかんだたのぶら下がっている所から、ぶつりと音を立てて断れました。ですからかんだたもたまりません。あっと言う間もなく風を切って、独楽のようにくるくるまわりながら、見る見るうちに暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。

あとにはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中余に、短く垂れているばかりでございます。

     

お釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがてかんだたが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうなお顔をなさりながら、またぶらぶらお歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、かんだたの無慈悲な心が、そうしてその心相光な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、お釈迦様のお目から見ると、あさましく思し召されたのでございましょう。

しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のような白い花は、お釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆらがくを動かして、その真ん中にある金色の蕊からは、なんとも言えない好い匂いが、絶間なくあたりへ溢れております。極楽ももう午に近くなったのでございましょう。